つらいと、いやは、ぜんぜん違う
2021/04/22グリーフケアの授業を受け持っている講座で
子どもの死は、タブー視される傾向について
解説するなかで、久しぶりに、あの話をした。
結婚して、住んだ家は、中古の家で
引っ越しの挨拶に回ったとき、近所の人が
驚いた様子だったので、なんでかな?と思った。
ガレージに、チョークで、電車の絵が描いてあったので
小さな男の子が住んでたんだな、と思ったが
その子が近所の川で、誤って亡くなったことを知った。
近所の人の反応に影響を受けた夫は
そういう家だったら、買わなかった、と言いだし
絵を消そうとしたが、私は、「消さない」と言った。
そんなこと言ったり、したり、その子にしたくなかった。
のちに、私の子も、突然の病気で亡くなった。
私は、ここに住むことに耐え切れず、引っ越すことにする。
けれど、家は一向に売れなかった。
「この家は、子どもが2人も」
と噂が広がった影響もあって。
あゆみは、ただ病気になっただけ。
男の子も、遊んでいただけ。
2人とも、何も悪いことはしていない。なのに
と話しながら、また思った。
誰にとっても、子どもの誕生は、めでたいことで、
子どもの成長は、喜ばしいことで、
その反対は、つらいこと、というのは私も同じ。
でも、他人には、「つらい」にとどまらず
嫌なことであったり、縁起の悪いようなことにもなり
家族の気持ちとかけ離れたとき
とても傷つく。
いなくなってしまい、ものすごくつらいのに
さらにつらい思いをすることのないよう
多くの人の理解のなかに身を置けたら、と思う。
私が引っ越した理由は、そこではないけれど。
私は、同い年の子がたくさんいるところで
その子たちの成長を見続けることが、できなくなった。