亡くなった子の親の思考しかなかった
2021/06/06もし、あゆみが、重い障がいと共に生きたとして
私はどのくらい頑張れただろう・・
と、きょうは考えていた。
あんまり
頑張れなかったような気がしてきた・・・
私の母校である高校で、卒後だいぶん経って
車いすの受験者への、入学拒否があった。
当時は、ふーん、と聞いて終わったが、調べたら、
その受験者は、成績上位10%内だったのに
進行性の病気(筋ジストロフィー)だったため
3年で履修できる見込みがない、と見なされた。
そのため両親と本人は、裁判を起こし、
勝訴して入学している。
驚いたことに
3年で高校を卒業できただけでなく
大学にも、大学院にも進学していた。
亡くなったのは、ずっとあとで、40才。
結局、学校にはエレベーターを付けるお金がないのだ。
エレベーターを付けたら、あとの入学者の役にも立つ
と、昨日は書いたが
でも頼むときには、
「私の子のため(だけ)に付けてください!」
と言うことになる。
お金もなく、理解もない相手を
どう説得できるのだろう・・・
私は、ずっと「亡くなった子の親」をしてきたので
ほとんど、感情論しか口にしてこなかった気がする。
子ども一人の命は、何より重い、とか
子どもは、親にとってかけがえのない存在
と言えば、誰でもうなづいてくれる。
話が通る。
でも、生きている子どものために
その子が抱えた、大きな、社会的な問題のために
どこまで話は通せるのだろう。
これって、ものすごく大変なことに思える。
(また明日考えよー)