簡単には描き出せない「生きる意味」
2021/06/26お子さんが病気になる前に
親が、がんなどの大病をして
治療がうまくいって生還していた場合
2つの意味の取り方が生まれる。
あのとき死んでいたら
こんなつらい思いをしなくて済んだのに。
と
あのとき死ななかったのは
子どもを最期まで世話してあげるためだった。
ほとんどの親が、
1つ目の「あのとき」を思ってから
2つ目の「あのとき」に、意味を転換する。
つまり、
自分が生還したことには、意味がある
という考え方。
素晴らしい発想だ。
ところが、
意味の転換は、これで終わらない。
「だったら」が生じる。
「役割は果たしたのだから、もう死なせてほしい」。
ここから先の意味の取り方は
とても高度で、容易ではない。
自分が生き残った意味
子どもは亡くなったのに、生きていく意味
どう模索すればいいのか?
何を見出せばいいのか・・・
幸い私には、「小さないのち」があった。
この活動から生きる意味を見出している
というよりも
この活動があったから
生き延びることができた。
「生きる意味」
のほうは
ずっと考え中。