そばにいても起こるときには起こる
2021/07/221才の女の子が、車の中で亡くなった。
このニュースの見出しが目に入ったとき
あーー また1人残されたまま
と思ったが、母親も一緒にいた。
夜勤のあとで、車内で眠ってしまったそう。
大変な過ちであるが
「一緒」にいた、ということが、
私にとっては大きい。
いつも、そう。
子どもが亡くなるニュース、すごくつらいが、
親が一緒にいた、と書かれていたりすると
救いを感じることと、
ズーンと胸が詰まることの
両方が私のなかで起きる。
おそらく、理由は
私は、そばを1時間も離れていた間に
あゆみは手の届かないところへ行ってしまったから。
世間では、車内の熱中症に限らず
親の過失による子どもの死には
厳しい批判が向けられる。
ものすごく辛辣な書き込みもされる。
そういう文字が目から入るとき
いまも私は、
自分が裁かれているような気分になる。
恐る恐る、記事のコメント欄を見たら
・夜勤明けで疲れ果てていたんだろうね
・一番驚いているのは母親だろう
といった同情の言葉ばかり続いていた。
ほっとする自分に気付く。
やはり「一緒」にいたことが大きいのだろうか?
世間は、育児中の母親に優しくなっていっているのだろうか?
でも、同じ日、別のところで
子どもだけが車内に残され、亡くなっている。
もう詳しく見れない・・・