普通の言葉で話しながら繊細な気持ちで
2021/08/27明日、朝からずっと研修のため(受けるほう)
事前課題を読みながら、思った。
言葉の使い方、言い方は、とても大事だと
日頃から考えている。
とりわけ、お子さんを亡くされた方と接するうえで
自分も当事者であっても、
相手に繊細な気持ちを、もつようにしたい。
先日も、会の中で行った勉強会で
「亡くなった」という言葉について話し合ったが
この言葉を口にしたくない、されたくない人が、一定数おられる。
代わりの言葉として、
見送った、お別れした、などが用いられていることも
私はよく知っているのだけれど、
私は、通常、「亡くなった」を使わせていただいている。
これには理由がある。
以前私は、亡くなったは、口にしないようにしていた。
そのため、「うしなった」と表現していた。
すると、あるとき
多くの当事者が集まる中で、言われた。
「坂下さんの言葉で、いつもひっかかる言葉があります」と。
どきっ!
なんでしょう・・・
「いつも、失ったと言ってますよね?」
え、いけないの?
なんと言えばいいのか、尋ねると
「ふつう、亡くなったといいますよね」と言われた。
ええ普通はね。
「失った」が、どう良くないのか尋ねると、
「見失った」に近いニュアンスを感じるらしく
そのとき、きっぱりと言われた。
「子どもを見失うことはありません。
私の子どもは亡くなりましたけど
私の中で生きていますから」
この一言に、私は覚悟を決めた。
その通りなのだ。
だから言葉は、「ふつう」を行こうと。
亡くなった。
でも、親はその子を見失うことはない。
なぜなら、
生きていたときとは、違ったかたちで
親はその子と生きているから。