悪気と悪意のちがいについて考えた

2022/06/05

トップページにある公開している「掲示板」に

こんな投稿があった。

子どもを亡くしたあとの、生活空間でのこと。

 

一番辛いのは、

こんにちはー と目も合わせず

挨拶だけしたよ風に 去っていかれた時は

本当に傷つきました。悪気はないんでしょうけど。

 

こうした体験談、よく聞く。

「悪気(わるぎ)はないんでしょうけど」と

受け取るように努めていることも、よく聞く。

でも

本当に傷つきました

とある、こっちが本当のことなんだ。

 

「こんにちはー」さえ言っておけば

目は合わせなくても

挨拶はしましたからね

という非を逃れるズルさ、さえ感じる。

 

これって、傷つくさ。

 

でも、積極的に何かされたわけではなく

文句のつけようはない・・・

 

悪気(わるぎ)がない、は

ほんと厄介だ。

悪意(あくい)だと

「悪意はない」とはあまり言わない。

「悪意がある」「悪意を感じる」と言う。

だから、悪意だったら

悪さが、はっきりしている。

 

悪気(わるぎ)ない、としてはびこっている状況を

どうにかするには

明るく振舞っているといいのか?

積極的に輪に入って行くといいのか??

 

どこに、そんな気力が残ってるねん。

 

生きていくことが大変であるだけでなく

生活していくことも

日々、大変なのだ。