何でも「感謝」に結びつけていけばサマになる

2023/03/22

昨日書いた、つらい出来事に感謝、は

できる人、いると思うが

やはり私が思い描く、最大のつらいことは

わが子の死。

 

どんなときも、どんなことにも感謝

といった標語のような名言、よく目にするが

そこまでのことを想定していないのだろう。

 

先日行った「ストレスとグリーフ」の講義の話でいうと

世間で言っている「つらい」のほとんどは

ストレスのことだと思う。

で当会の親たちが言っている「つらい」は

わが子との死別によるグリーフ。

 

一般的に、つらい出来事によるストレスは

時間をかけて、よくよく考えてみたら

「良かったこと」に転換される可能性が高い。

 

たとえば、

大病をした

すっかり落ち込んだ

つらい闘病を経た

治った(治らなかったとしても)

健康の有難さを思い知った

今生きていられることに心から感謝する

 

といった構図。

感謝に至る人、多いと思うし

その解釈、素晴らしいと思う。

 

でも、子どもが亡くなって

すっかり落ち込んで

つらい時間を経て

その子の存在の大きさを思い知り

そのあと大転換って、ある?

前述の構図でいくと

今いないことに感謝って、

あり得ない。

 

死別のグリーフは

解消も、転換も、しなくていいもの。

 

時間と共に、少しずつかたちは変化するが

持ち続けていくものであり

大事にしていくもの。

 

だから、何でもかんでも

感謝、感謝って方向づけていくのは

扱い、軽いと思う。