〇〇を亡くすほどつらいことはない主張

2023/05/07

昨日も書いた講座受講のなかで

私が一番関心をもったのは

「多声的環境」について。

 

いろんな声がたくさんある環境であるほうが

体験の言語化は、促進されるという。

 

当会の場合、

子どもを亡くした家族の会、と銘打っているので

参加者は、みんな同じ立場とも言えるが

それでも背景はさまざま。

この「さまざま」「いろいろ」がいい、というのは

確かに感じており、例えば

いろんな考えや、感じ方の人がいることを知る、とか

人と自分を比べないようにする、とか

人間的成長にも繋がるだろう。

 

一方で、

運営をむずかしくさせる点もある。

いろんな考えが、実際に「声」となることで

傷つきや、孤立を、生んでしまわないか?だ。

当会のかたたちは、大人しいかたが多いので

無言のうちに、そうなっていたら、つらい。

 

そしたら、

よその遺族会の運営者が抱えている悩みが

私とは比較にならないものであることを知った。

 

このように主張し、言い切る人、

頻繁に出現するらしい。

でも当会にはいない。発生しない。

 

「子どもを亡くすほどつらいことはない」

 

言う人はいても、ほかの人に向けて主張はしない。

全員そうだから。

言うまでもなく、だから。

 

その主張、その通りだと私も思うけれど

運営者としては、つらいなあ。

どうすればいい・・?

 

じゃあ、ご主人を亡くした人も

言い切ればいいと思う。

「夫を亡くすほどつらいことはない」。

ほんと、その人にとって、そうなのだから。

 

「子どもを亡くすほうがつらい」

と言い返す親、いないと思う。