「母のようにつらい思いをしないように」

2023/07/25

看護師や助産師になる大学で授業をすると

かなりの頻度で

きょうだい児を亡くした学生さんと出会う。

 

それは、自分が生まれる前に亡くなっている場合と

生まれてから亡くなっている場合があるが

こればかりは

亡くなったのは、生まれる前であっても

生まれてからの出来事と変わりないのを感じる。

 

子どもが亡くなるということは

親にとって、生涯を通して影響し続ける

と言っても過言ではなく

きょうだい児は、親の境地を敏感に感じ取っている。

 

生まれる前のことは、

親が話さなければ詳細にはわからないことだが、

つらさを持ち続けているのであれば

言ったほうがいいのだろうか・・・

 

お母さんが、そんなにつらい思いをしたのだから

私は看護師になって

お母さんのような人を、未然に救いたい

という志をもって医療者になる人がいる。

 

私自身は、

お母さんのため、よりも、

あなた自身が関心のあることをするほうが

いいんじゃないのかなあ?と思うものの

関心があることが、それなのだから

いいのかな?

と思ったりもする。

 

じゃあ、過去のことは、何も聞かされずに

育ったとしたら、もっと自由なのだろうか?

 

いやー、そんなこと無理だろう。

家には位牌があったり、遺影があったりするのに

何も言わないほうが、さらに、

親の気持ちを推察しながら大きくなるかもしれない。

 

きょう出会った学生さんは、

病院が助けてくれなかった!という

怒りにも似た感情をバネにして

有能な医療者を目指して進学していた。

 

傍目には、

背負うものが大きいと

しんどくならないかなあ、といった

勝手な憶測で見てしまいがちだが

若い体力と、気持ちの強さが

広く見渡せる高台まで

突っ走らせてくれるかな?

 

ともかく見渡せるところまで行って、それから、

生き方も、進路も、

考えても遅くはないのかな?と

きょうまた思った。