カルテ開示を通して自分の脆さ感じる

2023/12/10

きょうは、オンラインでの「わかちあい」だった。

対面で行う場合と同様に

誰が何を言った、といった具体的内容は

非公開にしているので

自分が言ったことだけ書こうと思う。

 

カルテ開示のことが話題になった。

前回、「した」と話していた人を参考に

今回、「私もした」という人がいたり、

「したい」と思うようになった人もいたり。

 

その目的は

昔のように裁判だけではない。

成長の記録であったり

親が知らない場面を知るためであったり、

一番大きいこととしては、

子どもが生きた証

と言えるだろう。

 

で、私自身、

「どうしてもカルテ開示できませんでした」

 

よく私はあゆみのカルテを取り寄せている

と思われるが

実は、持っていない。

 

悩んだ末に、開示の手続きが

できなかった親なのだ。

 

5年過ぎた頃

「法律で5年保管とされていても

大抵もっと長い間、処分はされていないよ」

と言ってくれた人がいたにもかかわらず

取り寄せられなかった・・・

 

あゆみは救急からの死で

病院のなかに成長があったわけではなく

いい事も、つらい事もあった

というご家族とも違って

意識ないままつらい時しかなかった。

だから改めて直視することが

できなかった・・・

 

それも含めて

あゆみが生き抜いた証であり

闘ったあゆみの姿がそこにはあるはずだ

と考えると

勇気のもてない不甲斐ない親だ。

 

そう思うからこそ

私は、なかなか元気になれない親

自責が強い親の近くにいたいし

この会が

一番つらい人の近く在ることを

忘れないでやっていけるんじゃないか?

と思ったりする。