苦しみ方さえも結び付けられる

2024/07/17

NHKの朝の「虎に翼」で

意味がわからないところに差し掛かっている。

 

前回、勤務先(裁判所)の若い職員が

河原で、村の老人と取っ組み合いになり

止めに入った虎子(主人公)が

川に突き飛ばされて、ずぶ濡れになった。

なんで取っ組み合いになったかは

不明だった。

 

きょう、その理由が

はっきりしたような?しないような?

 

別の男性が言った

「まさか、あんなことに。

良かれと思って喝をいれたのに」という

良かれと思っての老人の「喝」は、次の言葉。

 

「しっかりしねえと、次男坊も成仏しねえろ?

次男坊のことは、よーく覚えとる。

小せえ頃から心優しく、頼もしい子やったがな。

具合いの悪いおじさん担いで

何度も医者に走って行った。

お年寄りにもいっつも親切で

祭りの日にはいっつも見事な歌を」

 

ここまで言ったところで

「だまれーーー」とつかみかかる。

 

え?何がアカンかったん?

よく読み解けなかった。

このあと

「思い出にできるほど、お兄さんの死を

受け入れられていなかったんでしょうね」

と言う人物がいるので、

この若者が三男であることだけ、わかった。

 

で、何がアカンかったんやろ・・・

その人が言うように、死そのものを

受け入れられない状況だから、だろうか?

 

次男を褒めちぎったから

嫉妬とかコンプレックスとか、だろうか?

 

私が何となく思ったのは、

「~~~しないと成仏できない」

のところではないだろうか?

 

遺族は、それこそ、死そのものを

受け止めきれないほど苦しんでいるのに

その苦しみ方さえも、

「成仏」の足を引っ張っているかのように

さも、わかったような

もの言いをされることが現代においてもある。

 

「そんなに泣いてばかりいたら

〇〇ちゃんが心配しているよ」的な。

ほっとけ~

と言いたくなるような気分を

抑えきれなくなって

取っ組み合いに?か?

 

明日には、もっとわかるんかな・・・?