現代の親とおなじ境地の100年前の親

2024/07/21

昨日訪ねた看護大学のある石川県かほく市は

西田幾多郎の生誕の地。

西田幾多郎とは日本の代表的な哲学者で

京都学派の創始者。

 

我が子の死に多大な影響を受けた哲学者と知り

修士論文に書きたい!と思ったが、

すぐ断念。難解すぎた。

でも、わが子の死を嘆く文章だけは

とてもわかりやすい。

 

「亡きわが子の可愛いというのは

何の理由もない、ただわけもなく可愛いのである。

甘いものは甘い、辛いものは辛い

というの外にない。」

 

なんて文章は哲学者が書いたと思えない~

そして、今から100年以上前の

子どもが多く亡くなった時代であっても

現代の親たちと、境地はなにも変わらない。

 

旧友が女の子を亡くしたことを知ったとき

「力を尽くして慰めた。」ところが

翌年、西田も女の子を亡くして、

「かえって慰めらるる身となった。」

その後、東京に着くや否や、その友人を訪ねる。

 

今度は同じ悲しみを抱きながら、会い、

手紙では互いに慰めあっていたのに

面と向かうと何の語も出ず

遂に、一言も亡児の事に及ばなかった。

 

というくだりがある。

あー、父親同士だなあ、という感じ。

おそらく母親同士だと、まず抱き合って泣き

話しは尽きないように思う。

 

学者同士である父たちは、

そのあと、申し合わせたように

我が子のことを文章にしたためた。

読み終わると

「人心のまことは、かくまでも同じきものかと

つくづくと感じた」とある。

 

昔も、今も、

子を亡くした親同士でなければ

分かり合えないものがあるのだなあ。

 

かほく市にある記念館に行きたかったけれど

とんぼ返りになってしまい

きっと、また時間を作って行きたい。