いつも「人ごと」にはならない人々

2024/08/09

きょう、車で出かけていて

対向車線に、すさまじい事故直後の車を見た。

片側1車線の対面道路、

信号も交差点もない一本道の琵琶湖畔で

横向いて道を塞いでしまっている。

 

私と一緒に乗っていたのは

子どもを亡くした人と、そうではない人。

それぞれ、言うこと違うなと思った。

 

亡くしている人は、

「こっちに突っ込んで来てもおかしくなかったよね」

亡くしていない人は、

「居眠り運転やろね、パトカーどうやって来るんやろ」

 

怪我がなければいいけれど・・・

と思うのは同じでも

対岸の火事のように思うことと

自分に及んでも不思議はない、と思うこと。

 

後者のほうは

起きるはずがないことを経験した人の

思考傾向の1つに思えた。

 

私は、またぜんぜん違うことを考えていた。

対向車線は、

車が次々とスピードを落とし、

止まったままの長蛇の列をなした。

 

でも、しばらく行くと

また普通の車の流れになっていく。

「この人たち、少し先で動けなくなること

なんにも知らない・・・」

 

こういうことを感じるとき

自分とあゆみに起きたことと

つい重ねてしまう。

 

今夜、このあと、大変なことが降りかかる

とは、まったく思いもせず

だから平気で一人で寝かせてしまった。

 

一寸先のことは誰にもわからない

というのは皆同じかもしれないが

自分には降りかからない

と思いこんで暮らしている人たちも、

たいてい、本当に、

大変なことなど起こらずに

一生暮らしていけるんだけどね。

 

大変なことが、本当に起きた人のほうは

おそらく大変なことは何度も起きないのに

いつも「人ごと」にはならない

怖れをもって暮らしているような気がする。

 

起きたことが

終わっていない

終わらせていないから

なのかもしれない。