自分の価値観は自分のために必要なもの

2025/01/21

一昨日、洗濯機も掃除機も壊れたら

と書いたところで

「掃除は別にいいけれど、洗濯はしなければ」

というのは、

あくまで私の価値観だ、と改めて思った。

 

お子さんが重い病気のお母さんと話していて

当時の私にはあまり理解できないことがあった。

 

お子さんの入院中、お母さんは病院に付き添い

小さいお兄ちゃんは実家に預けていた。

週に1回か2回、自宅に帰ると

まず掃除。

それからお兄ちゃんを迎えに行き

晩御飯を一緒に食べて、病院に戻る。

 

大変だなあ、すごい努力だと思った。

ただ、掃除はしなくていいんじゃない?

そのぶん、家で体を休めたり

お兄ちゃんとゆっくり過ごしたりしたほうが

と思い、尋ねると、

えっ?という感じだった。

 

きれい好きなんだ。

おうちピカピカだったし。

 

私は、普段から、洗濯だけはためないが

掃除をまめにしたことがないので

思ってしまった。

 

こんなときなのだから、掃除なんかより・・・

 

ぜんぜんわかっていなかった気がする。

確かにお母さんは綺麗好きではあった。

でも、好きだから掃除していたのではなく、

無になれる時間が大事だったのかもしれない。

 

無心に没頭できる何かがあることは、

身を護るすべでもあるだろう。

 

こんなときなのだから、掃除よりも

と思ってしまったこと

「掃除はしなくてもいいんじゃないですか」

と言ってしまったことを

後悔している。

 

自分の価値観は、自分のためには持っていていい。

もっておく必要がある。

でも、人のために使うものではなく

人のことに持ち出すものではない

と、今は思っている。