つらいときに生まれる気持ち
2018/12/18 多くの人が、一周忌を迎える頃
再び、ものすごく辛くなる。
普段もつらいのだけれど、「ものすごく」。
なぜだろう。
丸い時計の針が、一周するようなものかもしれない。
時を刻むにつれ、別れた時刻から、針は離れていく。
けれども、一周回わるころ
再び、別れた時刻に近づいて来る。
同じ時刻がやって来るのでも、時間が戻るのでもないのに
あの日、あの時が、ありありとしてきて
どうすればいいか、わからないくらい混乱することもある。
そんななか、
「こんな私でも、誰かの役に立てますか」
と言ってくれる人がいて、
きょうも、そう言ってもらった。
「立てます。必ず」
わが子をなくし、苦しみ、耐えに耐え
さらに、何で人の役にまで立たないといけないんだ?
そいう考え方も、あるかもしれない。
ところが、だからこそ、というような気持で
役に立ちたいと、自発的に、内発的に、そのように
思ってくれる人がいるから、この世の中は、成り立っている
と言っても過言ではないと、私は思っている。
行政がすることでも
有償ですることでもない、個人の善意の行動が
ものすごい働きをもっていたりして
遺族会なんかも、そうだ。
そして、つらい思いを経験した人が、人の役に立てたとき
それまでの「つらい思い」が、かたちを変えていく
という作用を目の当たりにするのも、遺族会。