「聞くとつらくなる」タイプ(?)

2011/05/21

前回のつづき。

話すとつらくなる、だけでなく、
ご自身は話さなくても、ほかの人の話を聞くだけで、
つらくなるというご遺族がおられる。
この点がまた、私にはよくわからない・・・

どうやら、自分のもつ悲しみと、話す相手の悲しみが
重なり「すぎる」らしい。
重なるだけでなく、自分の悲しみが、過剰に引き出されるらしい。

私の場合、当初から、
他人の悲しみが自分の悲しみに、負の影響を及ぼすことがなかった。
その人の悲しみは、その人のもので、「その人の子」のことだから、
私も、その人の気持ちと、「その子」に、こころを寄せ、
ひたすら聞くのだけれど、それ以外のことは、たぶん
していないし、起らないのだと思う。
だから、聞いて、「もっとつらくなった」が、感覚的にわからない・・

なぜ同じ立場で、同じように苦しい状況にあって、
話したり聞いたりすることにより
徐々に解き放たれる人がいる一方で、
さらにつらくなる人が、存在するのだろう。

いくら考えても、よく分からないので、
こう考えることにした。
これは「タイプ」なのだろう。
たとえば、車酔いする人と、しな人がいるように
車酔いは、しないほうが楽だけれど
どんなに酔っても、車酔いは病気ではない。

でも、車酔いのように苦しい思いをしてまで
車に乗らなくても(わかちあいに出なくても)いいわけで
車酔いの例えは、ふさわしくない。

そう、身長のようなものかもしれない。
人の身長は、同じではなく、高い人も低い人もいる。
差が歴然だけれども、優劣ではない。
んー、でも、そんな固定された状態を指しても
これも例えにはならない。

きっと、基礎代謝のようなものだと思う。
同じものを同じだけ食べて、
太る人と、太らない人がいる。
タイプだから。

これが、感覚的にいちばん近いように思うのだけれど、
このあたりのこころの作用に、詳しい人が見つかれば
もっとまともなことを、聞いてみようと思う。