お供えであってお供えではないお菓子

2024/06/19

距離を置くことがあったとしても

また普通に来てくれるような人のことを

昨日書いたが、

「普通に」の話はよく聴く。

 

子どもが亡くなると、

何もかもしんどくて

人と距離を置いてしまうことがある。

そしたら、相手側は、さらに距離をとり

疎遠になることも、無縁になることもあるが

一人のお母さんが教えてくれた

「普通に」接してくれたママ友の話が

とても心地よくて、よく覚えている。

 

下の子が亡くなった。

上の子も、下の子も知っているママ友さんは

道ですれ違ったときなどは

買い物帰りだったら、

買ってきたお菓子の袋を破いて、

一握りを、「コレあんちゃんに」

もう一握りを、「コレももちゃんに」

と手渡してくれたりする。

 

普通に、家にいる子のように

普通に、普通のものをくれる。

いたときと、同じようにくれる。

 

その人は、「お供え」とは思っていないようで、

持ち返ったら、お仏壇に置くのだけれど、

お供えであって、お供えではない感じの駄菓子。

 

こういう日常を過ごせる人って

素敵だなあ、と思った。

亡くなっても、いなくなってしまった子ではない

という意識を、

親だけが持ち続けるのではないことが

うらやましく、素敵。