するか、しないか、考えたこともなかったこと。
2009/08/06 死という、人間のもつ影の部分は
できるだけ伏せられてきたように感じるが、
「おくりびと」という映画が大ヒットしたことから考えると、
人のかかわりから生まれる、嬉しいことにも、悲しいことにも、
目が向けられるようになってきたことを、感じる。
昨日は、葬儀業さんの組合のようなところから呼ばれ、
打ち合わせに参加した。
この業界の人達の間からも、
遺族の気持ちに、もっと寄り添った「お別れ」を
という願いが高まっているのを、感じる。
私が話せることというのは、
子どもの遺族という、一握りの対象のことであり、
商売としては、狭い市場の話になるが、
しかし、子どもの遺族は、悲しみを極めた遺族であり、
とても気の抜けない相手でもあることから、
この一握りを知ることから、全体に対する理解も深まるに違いない
と私は期待し、行った。
終わってから、不意に尋ねられた。
「昔は、お子さんを亡くされたご遺族のケアって、どうされてたんでしょうね?」
私もよく分からないまま、とっさに思ったのは、
「100年前は、赤ちゃんが今の60倍なくなっていましたから、
小さな子どもを失うということが、めったにない今と違い、
ご近所で、同じようなことを経験された人がいて、
やさしく声をかけてくれたり
直接経験はなくても、身近に接したことがあって
いい見守り方ができたのではないでしょうか」
そんな話をし、聞くうちに、驚いた。
昔、といっても昭和に入ってからも、
小さな子ども(幼児まで)のお葬式は、
あげないものとしていたり、
業者を頼まず、ひっそりと送ることが多かったらしい。
縄文時代には、家にあるかめに入れ、敷地内に埋めていた
という記録がある。
子ども一人を、家族と離れた墓地に葬るのは
さみしい。かわいそう。という親心が、伝わってくる。
現在に近い暮らしになってからも
小さな子どものお葬式が、大きな子どもや大人とは
ずいぶん違っていたことを知り、
時代の貧しさゆえか?
子どもだから、と軽く扱われてか?
と思うことは、さすがにできず、
「つらくてできない」という気持ちの表れからかな・・・
その選択に対して、おおらかな時代だったということなのかな・・・
と解釈したいと思った。
現代では、オリジナルなやり方や、家族葬、無宗派葬を選ぶ
というのは、よく聞くが、
「しない」は聞かない。
お葬式をしなくても、見送らないわけではないので、
考えあって「しない」、も選択肢の一つのように思うが、
今だったら、みんなすることを、しない、となると
なんで?おかしい。
とくるに決まってる。
「みんな」が基準で、「ふつう」が正しい時代だから。