回復は、目指さなくてもいいのではないか、と思った。
2009/07/01 うつ病の患者さんの話を聴き、思った。
「うつ病は、心のかぜ」というキャッチフレーズをよく目にする。
この言葉に、気持ちを救われた人もいるのだろうけれど、
当事者のなかには、
「軽くたとえすぎ」「かぜだったら、簡単に治るはず」
と、反発を覚える人も、いる。
「うつびょうは治る」というタイトルの本まで、目にする。
これについても、治って喜んでいる人はたくさんいるのだろうけれど、
「私は、治らなかった」「簡単に言い切らないでほしい」
といった、裏切られ感が持ち上がることが、ある。
もし、こうしたメッセージの出どころが、
「大したことはない」という素振りが、きっと本人を和ませる
という思い込みからであったとしたら、
当事者を、見損なっていることにも、なる。
私の場合、また別の事態−子どもの死−に、直面した当事者であるけれど、
どうも、似たような違和感を、味わった経緯を感じる。
それは、「あなたは、まだ、マシなの」といわんばかりの、
なぐさめが向けられたとき。
だいたいが、比較という手法による。
「まだ小さくてよかった」(もっと大きい子を失った人は、もっと悲しいはず)
「病気だったら、仕方ない」(犯人がいたら、もっと苦しいでしょう)
「助かったとしても、一生寝たきりになるよりは」(障害をもつと、大変なのよ)
いくらでも探せるだろう。比較の対象は。
しかし、いくら探してくれても、外側に目が向いている限り
和むことはない。
私が向き合っているのは、私の内側なのだから。
人の言葉に、何度も脱力し、
言葉は、いいところだけを聞き、
あとは、自分で生きてみた気がする。
「回復」は目指さずに。きっかけは、
「回復」という言葉のもつ意味が、「元どおりになること」だと知ったこと。
回復なんて、あり得ない。
元の暮らしには、戻れないのだから。
でも、この宙ぶらりんは、しんどいから、
とにかく、行き着くところがあれば。
そう思って、泳ぎ着いた岸が、いま居るところのように思う。
ここには、ここの、苦労もあるけれど、
でも、居心地は、そう悪くない。
病気も、「治ります」「治せます」だけが、道しるべではないと思うし、
治るか、治らないか、が分岐点ではないように、思う。