言葉にして、自分で口にしてみてこそ

2009/06/18

中学校で一日過ごした。
教師ではない私が、たまに学校に行き、授業をする。
「いのちの授業」といわれるものだ。

学年ごとに行ったので、3回した。
学年ごとに、なかみを変えようかとも考えたが、
同じことを話し、同じ質問(記述式)をして、
違いが見られるか、どうか、調べてみたいので、
同じ話を3回することにした。

その前に、学校に行って、くたびれるのは、
チャイムが鳴っても、なかなか始められないこと。
私は、もち時間を、ぎりぎり、大事にしたい。
子どもたちは、次々授業があるので、延びるわけにはいかないし、
私としては、早口ではしょってしまうのもイヤなので、
できれば時間通りに始めたい。

先生は、静かにさせて、きちんと始めたい(と思ってくださる)。
起立!整列!着席!やりなお〜し。起立!整列!着席!やりなお〜し。
が、10分近く・・・
整列しても、しなくても、
聴く子は聴くし、聴かん子は聴かんし、寝る子は寝るやろし。
とにかく、始めたい私・・・。

やっっと、「ではどうぞ」と言ってもらった。
それで、1回目は、考えていったとおりに話した。
内容は、あゆみのことと、私のことを話したあと、
小児病棟で過ごす子どもの様子がわかるビデオを見てもらった。

病棟には、良くなっていく子がいて、悪くなっていく子がいる。
残された子が、亡くなった子に「会いたい」と言って泣く。
主治医は、「S君とは、もう話しすることはできないけれど、
S君は君のことを、ちゃんと記憶して行ったんだ」と話す。

いのちの意味や、生き方を、「言い含める」教育に違和感を感じ
何とか、私が言葉で教えるのではなく、肌で感じ取ってくれるように
ビデオの内容には、ほとんど言及しないよう心掛けたつもりだった。
1回目の授業は、準備していったとおり、そうした。

ところが、2回目。
同じ内容だから、手元の紙を見ずに、進めていった。
そしたら、さっき言わなかったことが、不意に口から出た。
「私は、あゆみも、私のことを、ちゃんと記憶して、行った
と思うと、うれしかった」と、言ってしまった。
そしたら、涙が出てきてしまった。

3回目の授業では、意図的にもう一度、言ってみた。
やっぱり、涙が出そうになったが、
でも初めて言ったようには、出なかった。

10年以上経って、「初めて」と出会うとき、うれしい。
つらいことだって、うれしい。

いつしか、みんなが、じっと静かに聴いてくれていたから、
それもうれしかった。