生まれて生きたことの重み変えない

2025/01/18

阪神淡路大震災から30年が過ぎた。

あゆみが生まれたのは、その2年後の1月。

生まれたあと、

ほっとして、言ったことを覚えている。

 

「震災のなかでのお産、考えられないよね」

 

電気は止まり、余震が続く中で

お産を迎えた人はいて

生まれた赤ちゃんがいて

産科の人達は、母と子をどうやって守ったのか、

考えると同時に、平穏な中で迎えた幸福を

噛みしめながら

環境のすべてに感謝したのだった。

 

そうして無事に生まれても

次の年には亡くなってしまったのだけど

生きて生まれてこれたこと、

限られた命を一緒に生きられたことへの

感謝の気持ち、

一度は失いかけていたけれど、

持ち直すようになった。

 

死を受け入れたから、ではなかった。

死んでしまっても、

生まれて、生きたことの重みを

変えたくない、軽くしたくない気持ち。

 

あの病院の、産科病棟の談話室で、

「よかったー」と噛みしめた、あの時のこと

震災の日が来るたび、27回、

思い返したなあ。