繰り返されないため?

2004/12/23

『あのときこうしてほしかった。それを主治医に言いに行こうかどうしようか悩んでます。同じことがまたよその子に繰り返されないように』
ご遺族のYさんは何度もその後悔を「つどい」の席で語られます。みんな黙って聞き、胸を痛めます。
この日は、皆さんならどうするかアドバイスがほしいということだったので、思い切って私のほうからYさんに尋ねました。
『繰り返されないことが一番の目的ですか?』

 Yさんはつぶらな瞳をさらに大きくして固まってしまいました。
報道などでもよく色んなご遺族から≪繰り返されないために≫と語られますが、私はそのたび「すごいな」と思います。
『私自身は、娘の死を語るときよその子のことは念頭にないです。繰り返されないようにと発言しているときは必ず会の顔で立っているときで、それは実は一母親の私の言葉ではないんです』。そう打ち明けたらYさんは、
『そうかもしれない…。私も次に同じ病気になるよその子じゃなく、亡くなった○○のこと、一言謝ってほしいんです』

『じゃあYさん、先生には本当に思うところを打ち明けるほうがいいとおもう。でないと「はい。こんどからもっとこの病気の子どもたちの命を守る努力します!」と約束してくれても… ねぇ』 
Yさんはすごく理解がつながったご様子でした。

 私はご遺族がよく世間に向けて言われる「あの子のぶんまで幸せになってください」の言葉も口にしたことがありません。そんなこと願っていないからです。
すべての子どもが健康と愛情に恵まれることは願います。ですが、あゆみのぶんまでとは考えられないからです。死んでからでも≪あゆみのぶん≫をあげることはできないです。

 私たち遺族は、本当に願っていることと、どれくらいつらいのかを的確に表わす言葉が持てればいいのではないかと思えます。「誰か」の「今後」に置き換えなくても、自分の子どもに起こったことの重大さが表現できれば。
その言葉を今後に向けた対策に置き換えていくのは”あちら側”の仕事であるはずです。あちら=専門家は、当事者の言葉に刻まれている感情を的確に汲み取り、省みることにより、転換し生かしていけるのだと思えます。
そう。≪生かす≫という言葉も、≪あの子の死を無駄にしないために≫も。