病室のベッドで綴ったメッセージ文

2004/06/30

 昨年入院中に、インフルエンザ脳症研究班と【小さないのち】合同で発表する公開講座が行われ、そのとき病院から送ったメッセージ文が出てきました。
出席します と約束していたことなので、何としても!と願ったのですが、抗がん剤の副作用のため外出が許可されず断念… 
 班長の森島恒雄氏から「文章でメッセージを届けてくれたら代読しますから」と連絡いただき、願ってもないことで、早速書き始めますが、下を向くとゲボゲボ、文字を見るとクラクラで、1週間かけてようやく書き上げました。いま思えば、重々しく悲観的な文面です。

 私はいま、大きな手術に続き、抗がん剤治療のため入院しています。手術を受けた2月は、ちょうど娘が病気に倒れ、亡くなった月でした。もう5年前のことです。「もう」5年と申しましても、このくらいの歳月は、激しい喪失感からは解き放たれたものの、しみじみといとおしく、つくづくと失ったものの大きさを知る時期のようです。
また、これまで私は、痛みが心のなかにしかありませんでしたが、いまこうして体で知ると、「いたいけなあの子が、小さな体に感じたものは、いったいどれくらいのものだったのだろう」と、改めて考えては病院の枕をぬらしたり、少しずつ蓄えたはずの希望や自信が見えなくなったりしました。

 ベッドの横には大きな窓があり、一面に空が広がっています。毎日尋ねます。「だいぶん這い上がったと思ったのに、またころがり落ちちゃった。私はあんまり役に立たないから?必要とされてないの?」と、神様にではなく、空や雲に尋ねるようになりました。
そんななか、ご近所の方がお見舞いに来てくださったときのこと。私がポロポロと涙を流したら、『だいじょうぶ。あのときはもっともっとつらかったんでしょ。それに比べたら、何だって乗り越えられる』と言ってくれました。私は、目が覚める思いで、そのとおりだと思いました。

 私たち喪失家族は、生涯癒えることのない悲しみを携えていくのですが、強い底力も兼ね備えているのだと思えます。ただ、子どもを失うなどという、最大級の痛手を受けた人が、さらにまた大きな試練に見舞われることの危険性については、広く理解を求めていこうと思います。喪失家族へのグリーフケアはとても大切な取り組みだと思います。

 この冬お子さんを亡くされた方から、私のところへも、胸が詰まるメッセージが届いていますが、「退院したら必ずお会いしたいと思います」と、簡単なお返事しか出せていません。
後遺症を残されたお子さんのご家族からは、「不安でたまりません。私の子どもはどうなってしまうのでしょう」と連絡が入りますが、それについてはお返事できないままになっています。
動ける健康に恵まれるなら、またできる努力から始めていきますが、もともと自助グループの限界は感じていました。医療や療育の専門分野の方々との連携がなければ、自助グループは続いていかないと思います。

 【小さないのち】は、“子どもとその家族の幸せのために”という、目標を同じくする方々とともに歩んで行ければと思います。

インフルエンザ・脳症の会 小さないのち  代表 坂下 裕子
                                     国立大阪病院にて