問題の在り処をまちがっていた
2025/07/19きょう、つどいで皆さんの話を聞きながら
自分がずっと思い違いをしてきたことに
気付いた。
供養や、おまつりや、お参りなど
きちんとできているか、どうか。
できていない人の理由として、
わが子がなくなったときの法要、儀式が
受け入れ難かったから、そのまま、
辛くなることは、しない、避けてきた
という話がよくでる。
私もまったくそうだと思っていた。
突然わが子に線香を焚べ
お経を上げ、手を合わせ
気が遠のきそうだった。
でも問題は、この次だった。
せっせと供養に精を出す姑。
気が遠のきそうな私にも
やんやと仕向けてくる。
いや、本当の問題は、その次にあった!
そんな姑から
私を護ってはくれないダンナ。
思い返せば、
初めて新居に行ったとき
姑が選んだカーテンまで付いていた。
新生活のすべてを物語っている。
「カーテンはあとで選ぶから」
と言えない息子(うちのダンナ)・・
あゆみの法要問題は
線香の煙や、
何でも決めてしまう姑にあるのでなく
何でも姑に決めさせるダンナにある!
と、きょう気付いた。
とはいえ
あゆみも、姑も、
もういない・・
生きているダンナと仲よくするしかない。
するしかないことも、ないけど。