花火を見るたび

2008/11/29

私は、花火がちょっとニガテで
あの、夜空に咲く一瞬の華々しさに、はかなさや、切なさを覚え
あゆみが亡くなって以来、見物に行かなくなってしまった。

きょう、かねてより願っていた人から
「花火」に重ねて、とても心に染みる言葉をいただいた。
その人は、生体肝移植の「神の手」といわれる田中紘一氏。

ある講演会場で、いま尋ねなければこんな機会はもうないかもしれないと思い、
思い切ってお尋ねした。

Mちゃんは、京大病院で生体肝移植手術を受け、
手術はうまくいったものの、その後急変し、亡くなった。
深い悲しみのなかでお母さんが話してくれたことが忘れられない。
緊急の処置に駆けつけた田中先生が、お母さんの姿を見てとっさに出た言葉は
「お母さん、ごめんね!お母さんがんばったのに」だった。
患者の急変で医師が「ごめんね」を言うことは、あまりない。
過失を意味するようで、抵抗があるのだと聞く。

私はこの話を聞いたとき、それが名医であったことからも
とても感動し、医療全体に希望を抱いた。
そのことも報告がしたかったし、なによりも
一言でいいので、Mちゃんのお母さんに言葉がほしいと
もし会えるときがあれば、頼もうと決めていた。そして今日、言えた。

『花火を見るたび
わたしは亡くなった子どもたちを思い浮かべます
もうどのくらいになっているのだろうと
その子の成長を願います
Mちゃんのお母さんによろしくお伝えください』

亡くなった子の年を数える というのは、親に限ったことだと思っていた。
「冥福を祈ります」といった決まり文句ではぜんぜんなく、
ほんとうのところを言葉にしていただけた思いがした。
尋ねてよかった。
次の夏からは、私も、あゆみの成長を願って花火を見たい。