うまされる母と、うまれさせられる子どもによる、協働。
2009/09/28 語学がさっぱりなため、4月から英語塾に通っている。
塾の先生は、とても素敵な先輩女性で、
3人のお子さんを育て上げ、お孫さんもおられる。
勉強ぎらいの私は、すぐに脱線してしまい、
雑談の世界に先生を誘い込んでしまう。
大抵「こども」の話しになると、脱線する。
私はこんなことを先生に言った。
「子どもをうむ」と書くときには、「産む」で、
「子どもがうまれる」と書くときには、「生まれる」なんですけど、
つい最近まで、私、
上と下は、主語が異なるだけの違いだと、考えてました。
母親が出産する。子どもが誕生する。と同様に。
ところが、違うんですね。
「うまれる」は「うむ」の受動形なんですね。
先生は、こう教えてくれた。
ああ、じゃあ、おんなじね。
私は日本語の文法には詳しくないけれど、英語では
I was born.と、必ず受身で言うわ。
なるほどー。人は、生まれたときから、というか
生まれるときから、人の助けなしに生きられないことが、よくわかる。
ここで私に1つの疑問が持ち上がった。
よく、「親にうんでもらった(のだから感謝しなさい)」と言われるけれど、
母親だけ頑張っても、産めないのではないか?
子どもも、生まれ出ようと頑張るし、
両者の相互作用あってのことだと、体験的にも思う。
では、出産と誕生を助けている、あの陣痛は
どっちが起こしているのだろう。子ども?
ではないとしても、母親が意識して起こせるものでは、ない。
じゃあ、神様?
となると、二人が共に「受け身」なのではないだろうか。
うまされ、うまれさせられ。
うませてもらい、うまれさせてもらう、かな?
そんな、こんなで、脱線ばっかりしているから
英語のほうは、いまだにさっぱりなのだけど、
私は塾に行くのが大すき。
もしも英語が得意だったら、この先生とは出会えなかったんだ!
と、いつも思い、自分のニガテを肯定している。