過去は変えられる!変えられないのは未来だよ。
2009/09/22 ある研修に参加したとき、
講師の先生のこの一言に、参加者はどよめくように感激した。
「他人と過去は、変えられない。でも未来は変えることができる!」
一見、説得力のある言葉に思える。
でも私だけ、ポカン・・・
なんでみんなそんなに感激してるの??
過去は変えられるんじゃないか、とずっと私は思っていた。
で、きのう、小さないのちの大阪のつどいで、相談した。
そしたら、参加者のお一人が、
「過去は変えられる」と、やっぱり言ってくれた!
変えたい過去とは、おそらく痛い体験やつらい思い出に相当するもので
この、「いたい」「つらい」は、感覚の記憶なのだから
感覚の種類が変われば、過去は変わる。
と私は考えていた。
例えば、過去に大怪我をしたならば、
痛かったその記憶を消したいだろうけれど、
二度と同じ目に合わないように、安全に気をつけるようになれば、
痛い経験にも何となく意味があったような気持ちになれる。
また、過去に大喧嘩をしたならば、
つらかったその記憶を消したいだろうけれど、
二度と同じことを繰り返さないように、人の気持ちを考えるようになれば、
つらい経験にも何となく意味があったような気持ちになれる。
そして!過去に経験したことと同じようなことが起きそうになり、
回避できたなら、
「ああ、よかった」と実感する。
何となく感じていた「意味」は、確かな「価値」となって姿を現す。
明らかに姿を現さなくても、二度と事故に遭わなければ十分だし、
二度と揉め事が起きなければ十分なので、
やっぱり過去の「いたい」「つらい」には価値があると、私は思う。
過去は変えられる。と言ってくれたその人は、
「変えられないのは、未来」だとも教えてくれた。
未来を変えるためには、今変わらなければ、未来も変わらないのだ。
冒頭の、一見説得力のある言葉にどよめいた人たちの多くは
棚から牡丹餅てきに、
暗に未来の幸運に期待しているように、思えてならない。
講師の先生、「ただし!今すぐ変わってこそ」と
肝心な一言を加えてほしかったなあ。
そしたら歓喜のどよめきは、たちまち静まり返ったように思う。
ただ・・・
あまりにも大きな存在を失った過去からは
何かを見出すなど、なかなかできるものではない。
けれども、過去というのは、なかったことにはできない。
失ったものが、大きければ大きいほど、
大きな意味を導き出す努力を、時間をかけてしていきたいと、思う。