人間らしく生きることができる条件は、どのあたりだろう

2010/02/02

ある大学の、医学部の授業を毎年していて、
きょう学生のレポートを評価し、送り返した。
その中の一人が、私に質問してくれていたので、
返事を書いた。

質問は、授業で話したこととは直結しないが、テレビを見て感じたという。
一昔前なら、助からなかったような、重い病気をもって生まれた赤ちゃんの
命が助かるようになったことに、驚きと感動を覚える。
しかし、新生児の集中治療室(NICU)のベッドは不足している。
もし、治ることのない、そして命は助かったとしても、長くは生きられない
そんな赤ちゃんの治療が長引いているなかで
治る可能性の高い病気の赤ちゃんが、一刻も早い治療を必要としたならば、
後者の赤ちゃんに、ベッドと、治療の機会を譲ることが、大事と考えていいだろうか?
といった内容だった。

私個人は、
助かる命を助けることが、医療の使命であり、人どうしがもつ
共通の使命なのではないか、と思っている。

ただ、前者の赤ちゃん本人が、もしこう考えていたら、話は別かもしれない。
わたしは、病気が治らなくてもいい。
寿命が短くても、いい。
治療がきつくても、いい。
人に抱きしめられる感触を知らなくても、いい。
命が尽きるそのときまで、高度医療を受けさせてほしい と。

でもその子、そう思うだろうか・・・
赤ちゃんだから、考えるすべがない、というだけでなく、
もし自分だったら、とやはり考える。

治らず、命が短いと分っているのなら
限度を超えた治療が続くと、つらい。
他人の足を引っ張っているかのような立場に追い込まれて、
生きながらえるのは、つらい。

ならば、医療費がふんだんに使え、医療資源がふんだんにあったとしたら、
どうなのだろう?

結局は、お金の問題ではないように、思う。
自分の理想とする生き方。つまり
人間らしく生きることが、できるかどうか、にかかってくると思う。

私にとって、人間らしく、あるか、どうかは、
病気をもっていることや、体が自由に動かないことではなく、
自分の考えていることを、表現する何らかの手段をもっていること。
自分のことを、自分で決めることができること。
そして、「生きたい」と自分自身が思っていること。
だと思う。

子どもや、赤ちゃんは、そこらへんが不明だから、難しい。
親は、もちろん悩むと思う。
主治医も、悩むと思う。