ダイキの若い先生

2010/10/01

後期から、家族援助論という授業を担当することになった。
所属は保育学科。

子どもを失った家庭をどう支援するか?
なんてことを軸にするわけにもいかず、
シラバスには、一通り、扱っていく家庭の事情を連ねたが
きょうは、オリエンテーションなので、自己紹介をかね
これまでの自分の軌跡を振り返ってみた。

思い起こせば、私はこれまで
保育者によって3回救ってもらっている。
1回目は、兄の離婚。
家を飛び出していたはずの兄が、突然
離婚して、子どもを連れて帰ってきた。
4才と1才。
さあ、我が家は、ひっくり返った。
この危機を救ってくれたのが、保育所で、保育士。

2回目は、あゆみの切迫流産。
即刻入院!と言われても、ダイキをどうするよ?
実家に預けたが、毎日泣いて過ごしたという。
途中から、保育所に入れてもらうことができ
お昼寝はニガテだったが、
先生に甘え、園庭を駆け回り、元気に過ごすことができた。

3回目は、あゆみが亡くなった後。
私が取り乱したことは、言うまでもないが
ダイキはダイキで、自分を責めることとなり
あゆみが元気なとき、いっぱいいじめたとか、意地悪をしたとか
焼き餅やいて「あゆみなんかいなくなちゃえ」と思ったことがあるとか
意識を失ったときも、ダイキと二人で寝ている最中だったことから
「僕が目を覚ませば気づくことができたのに・・・」とまで。

こんな我が家に対し、卒業2年目だったダイキの担任は
ずいぶん心を痛め、悩んだことと思う。
けれども
親を追い込むようなことは一切言わなかった。
それまでと変わらず、ふつうに接してくれた。
何より、ダイキが毎朝「ようちえんたのしい」と言って
一日も休まず登園することができた。
この若い先生に、我が家は支えられ
窮状を救ってもらったと思っている。

そんな話を、きょうしながら
自分たちは、どれほど多くの人の見守りのなかで生き延びてきたかのか
しみじみと考え、これからは
恩返ししていくための時間なのかな・・
と、ふと思った。