袖すり合うも一期一会

2011/03/05

ちょうど、会員(ご遺族)のことが朝日新聞で連載されており
その取材で、彼女が私のことをちらっと話してくれていたことから
私のほうに「懐かしかった」「その節は」と
いろいろなメールをいただく。

会員さんではないご遺族からばかりなのだけれど
私は、「子どもを失った」と聞くと
それだけで意気投合するような体質をもっている。

袖すり合うも多生の縁 という言葉がある
えっと、意味は、、、
道で袖が擦れ合う程度の、すれ違うような出会いでも、
これだけ多くの人が行き交うなかでのことなのだから、
よほどのご縁と考えて大事にしよう!
みたいなところじゃなかったかかな??
(多生とは何度も生まれ変わること。
ちょっと前まで「多少」の縁なのかと思ってた。)

ほんと、そう思う。
私が思うに、
これだけ多くの人のなかでも
子どもを先に失うなどということ、経験する人はめったにいないのに
出会うだけで、すごいことなんだから
1回でもお話しできる機会を大事にしよう
という教えに聞こえてしまう。

ひいては
一期一会 にも通ずるようにおもう。

一期一会とは
「あなたとこうして出会っているこの時間は
二度と巡っては来ないたった一度きりのものです。
だからこの一瞬を大切に思い、今できる最高のおもてなしをしましょう」
という茶道の心だと、辞書にある。

私の場合、どういう姿勢でご遺族の話を聞くか、
が課題であるので
お茶やお菓子を召し上がっていただく「おもてなし」
とはちょっと違うかなあ・・
なんて思ったところ

おもてなし(持て成し)は
「見に備わったものごし」
という意味をもつという。
はあー、なるほど。

袖すり合う縁も、大事だし
一期一会も、どっちも大事だと、再認識したしだい。