色あせていく遺影

2013/03/06

父の入院、母の度重なるけが、
それに引き続く二次的三次的問題により
ジェットコースターに乗り続けているようなわが家だが
この日記には、できるだけあゆみにまつわることを書きたいので、
ちょっと視点を変えてみよう。

よそのお宅を訪問し、お子様の遺影を目にした時に
えっ・・・と不安を感じたことがある。
長い年数を経た遺影は色あせ
お子さんの顔がぼんやりしているからだ。

私が出会うご家族は、
死別から間もない方もおられるが、
すでに十年以上の方も珍しくない。
自分がそういう年数に差し掛かって、初めて実感することが多々ある。

わが家も例外ではなかった。
2年くらい前から、あゆみの遺影に変化を感じている。
色あせ、顔がぼんやりしてきた。

作り直そうか、とも考えたが
一度作った等身大(実際の顔の大きさ)の写真には、愛着もあるし
たましいさえ宿っている気がして
大事にしたい思いから、そのまま手をこまねいてきた。

きょう、あゆみの遺影を見つめながら、
ふと思った。
これって、そろそろ家族も忘れていいよ、という
本人の気持ちの表われなのだろうか・・

そのことを夫に話したら、間髪入れずに返された。
そんなことないと思うし
もし写真が消えても、絶対に忘れへんねんから。
薄れることもないし!

そうだ。
忘れるわけなどないし、薄れることもない。
ただ、人間の記憶というのは、あてにならないところがある。
そのために、夫婦はいるのかな、と思った。
あいまいな記憶を、修正し合うために。
抜け落ちていく記憶を、補い合うために。