誕生日のお出かけ先

2017/06/19

(つづき)

そうして会場に向かい
「自助グループのファシリテーター」講座は始まった。

遺族の「わかちあい」の、始め方・進め方・閉じ方
と進んでいく中で、
ファシリテーター(進行役)が話題を出すとき
というところに差し掛かった。

進行役は、参加者の話が続いていたら
静かに身を置き、その話をじっと聴いているのがいい。
ところが、話がピタリと止まり、途絶えることがある。

その沈黙の空間が、静寂となって
参加者に、心地よさを与えることがある一方で、
誰か、何か、言ってくれないかなあ、といった
落ち着きのなさを与えることもある。

そういった、何かあれば、というときには
進行役は、参加者に共通しそうな話題を投げてみるのもいい
と話した。

???という感じだったので
「例えば」と、誕生日に触れた。
たまたま自分の誕生日だったから。

「きょうは私の誕生日なんですが」
と言ったら、
これも「例えば」の話と思われた様子。

「亡くなった人の誕生日がつらい、
という話はよく話題になりますが、
自分の誕生日は… どうですか」
と言ってみた。

「あまり反応がなければ、もう少し話してもいいでしょう」
と言いつつ。

「わたしー 自分の誕生日 祝えないんです 未だに」
と言ったら
ドン引きされた(もよう)。
ほんとのこと話してたのかい?と。

ええ、いつもほんとのことしか話さないです。

「小さないのち」のような、当事者ばかりの「自助グループ」は、
スタッフも、自分のことを話して良いと、私は考える。

当事者ではない人が進行する「サポートグループ」では
進行役は、自分のことは話さないよう心がけるものだが。

「小さないのち」では、
スタッフも自分のこと話してください というお願いごとと
ただし、参加者が十分話せるよう短めに というお願いごとを
よくきいてもらえている。
ありがたい。