やっちまった(ダブルブッキング)
2018/11/30 早起きして、講演に出かけて行き
途中、依頼者の先生から届いたメール
「明日はよろしくお願いします」に、え?
慌てて電話して、「きょうですよね?」
「いえ、明日です」
ぎゃーーーー
明日はアカン。
明日は明日の行くところが!
そして私、まだ言ってる。
今日なのに、先生が間違ってるってことはないですか?とか
最初今日だと言ってませんでしたか?とか
相手の先生は、急いで連絡の履歴を調べてくれている。
調べても意味ないのに、私がそうさせているのだ。
なぜ私は、あのような言い方をしてしまったか?
それは、相手も自分と似たタイプなのかもしれない
と、なぜか思ったから。
であれば、私がしでかしそうなことを、している可能性が高い。
実際は、そんなことはなく
私が、手帳を、一マス左に書き間違えていたのだ。
頭を冷やし、全容を振り返ってみて、
この方は、すごい人と思った。
(打ち合わせで1回お会いしただけだが)
私 「何でこんなことになってしまったんやろ」
先生 「ええ、何でこんなことになってしまったんでしょう」
私、もう言葉が出ない。明日の予定をどうすれば…×××
先生「……。すみません。……。すみません。」
(何も悪くないのに)
ここで、真逆の行動をとられても不思議はなかった。
「ハア?私が悪いみたいな言い方ですよね」
「私、間違ってませんから」
「ほら」と証拠(記録)まで突き付けられたり。
これ言い方はともかく、凹んでる心に塩をすり込まれるようなもの。
非がないところで謝ってはダメ。不利になる
と指導する企業や、病院もあるが、
そんな駆け引きなどなしに、ただ、思わず、
「すみません」と口から出る人は、
思いやりに満ちた人。
私の立場で言うなら、ケアに向いている人。
相手が抱えた痛みに対し、
何の手立ても持たず、力及ばず、「ごめんなさい」なのだ。
さらに自分に引き寄せ
もっと手前で、できることは、何かなかったのだろうか
といった口惜しさのようなものまで身に被ってくれる人がいる。
凹んだ心は、ヒリヒリとむき出しになっているだけに
思いやりに対してもまた敏感であり、染み渡るのだ。