否定していなくても否定された気持ちになる

2019/09/25

当会が禁止していることは、ただ1つですよね?

それは、否定をすること。

という話を、先日も会の勉強会のなかで話題にした。

 

ところが、明確にその行為に及んでいなくても

人がつらい思いをすることがある。

 

その場にいて、回避できなかったことについて、ずっと考えている。

「あなたの考え方はおかしい」とか「それは違うと思う」

といった発言があれば、これは否定である。

けれども、他者の発言に対し、「私だったら」と逆の考えが主張されるとき

あくまで自分のことを言っている、とも受け取れるが、反論にも相当し、

では、否定を禁じている場で反論は許容されるのか?

 

反論は、異論なので、賛成せずに別のことを言っている、

ということになるのだろう。

ただし、しつこい反論はいけない。反論を越して攻撃になるからだ。

一方、「賛成」については、

してもしなくてもいいことは、おそらく共通認識としてある。

となると、問題発言は、なかったのだろうか?

 

私自身、どうしても引っかかる。

聞いていて、私もつらく感じたからだと思う。

では、私の感情によって人の行動を制限するのか?

 

あのとき、つらく感じた要因に、言い方があった。

大きな声と語気。

大きな声で自分の考えを主張する。これは、

思い余って、そうなることが理解できる。

では、大きな声で異論を主張する。

これは、やっぱりつらい。

でも、言い方の問題でもない。

 

あー、いま少し見えてきたことがある。

私は、何がとてもつらかったか。

先に発言した人は、異論を主張された、にもかかわらず

再び反論しなかった。言い返さなかった。黙ってこらえた。

このことに、私はたまらなくなったのだと思う。

 

対話の場って難しい。

こらえてくれる人によって、危うくなりそうな場が支えられることや

水面下のような見えにくいところに、人の気持ちが置かれてしまうことがある

という実際を、よく知っておかなければならないと思う。