鶴を折るか折らざるべきか
2019/12/20お葬式では色々なことをする、の続き。
家族の控室に、折り紙があったので
甥の子が遊ぶために置いてあるのか?と思っていたら
そうではなく、
故人へのメッセージを書いて、鶴を折って、棺に入れる
という儀式?用だったらしい。
説明を聞いていなかった私は
しばらくして、祭壇に鶴がいくつかあるのを見て、え?と思う。
私、書いてないし
私のぶん、もうないし・・・
ひどくない?
あ、家族が亡くなると、カチンときやすいというから
あかん、あかん、と思う。
で、考えた。
私は書きたいのだろうか?
鶴を折って、入れたいのだろうか・・・
ひどくない?は、
葬儀社にではなく、
姑にではないだろうか・・・
あのとき、私は謝ったよ。
でも、ついに、ついぞ、お義母さんは謝らなかった。
私だけが悪かったと、最期まで思ってたんですか?
家族だから、謝らずに水に流そう、とか思ったんですか?
でも、坂下家で、私だけが血の繋がらない家族
という空気、ずーーっとありました。
私は、自分にも非があると認めるなら
生きているうちに、ものが言えるうちに、謝ろう
と心に決めた。
甥の2才の子が、ミミズ?とヘビ?の絵を書いた折り紙が
放ってあったので、その裏に、書くとする。
謝らなかったですね!
じゃなくって、
「あゆみをよろしくお願いします。」
しわくしゃの折り紙だったから
首をかしげた鶴になった。