死んだ人の悪口は言うもんじゃないけど、言う。
2019/12/21あのとき、私は謝ったよ。
でも、ついに、ついぞ、お義母さんは謝らなかった。
のつづき。
姑の逆鱗に触れることになったのは
あゆみが亡くなってすぐだった。
坂下家の仏壇がある。
「こんなところに、あゆみを入れたくない」
と私が言った。
仏壇のようなところに、という意味。
死を認めたくない思い。
ところが姑、「こんなですって?」となり
「この仏壇をどんな思いで買って、どんな思いで守ってきたか
あんた、わかって言ってるの!!」と
その剣幕に、吹っ飛ばされそうになった。
(姑は身長140㎝なのだけれど)
私は、「この仏壇」をけなすつもりではなかったので
その点について謝った。
でも、姑は口をきかなかった。
私も、本心のほうは曲げなかった。
その場に、身内は何人もいたけれど、
みんな押し黙り、後からでも私をなぐさめてくれる人はなく
そのことも、悲しかった。
今思えば、姑は、
子どもが小さいうちに、夫が急死し
どんな思いで仏壇を買い、仏壇だけでなく一家を守ってきたか?
と考えることができる。
でも、そのグリーフで、今始まったばかりのほやほやのグリーフを
吹き飛ばすって、どうよ?
やっぱり、一言、
言ってくれていいんじゃないか?
「私も言い過ぎた」と。
いや。
「私も」より「私が」だ。
「こんなに弱り果てている裕子さんに、
追い打ちをかけるようなことをして、私が悪かった」
くらい言ってほしかった
というのが正直なきもち。
甘いね。
わかってる。