仕方なく書いていた私の「お手紙」

2020/03/22

留守の時に入れてくれる「お手紙」で思い出した。

私は、むかしむかし、

音大を受験したい大きなお子さんや、4才からの個人レッスンをしていた。

小さいお子さんは、最初のうち

お母さんがついて来られて、そばにおられる。

聞いてわかることしか言わないので、おそらく家でも見ておられ

最初のうちはさくさくと進む。

そのうちお母さんはついて来なくなり、私は連絡ノートを書いていた。

来なくても、していることがお母さんにわかるように。

 

きょうはこんなことをしました。

よくできました、とか、あまり上手くいきませんでした。

理由はこうこうこうと説明し、家で練習しましょうと、お伝えしました。

みたいな記述。

 

小さいうちは、細かくお母さんに知らせておくといいかな、と思い。

家でお母さんにおさらいしてもらおうとは思っていない。

できるようになるまで見るのが、私の責任だから。

 

そして少し大きくなると、字が読めるようになるから、

本人に向けたメモ程度の記述になる。

さらに大きくなると、口で言えば理解できるので、

楽譜に少し書き込むだけで意思疎通がとれるようになるし、

時間が必要になり、時間が惜しくなる。

 

ところが、大きくなっても

「連絡ノートは毎回書いてほしい」とおっしゃるお母さんがおられる。

お子さんにきちんと伝えているので、と言っても、書いてほしいと。

だったら書く。

でもお母さん気づいていない。

お母さんのためのノートを書く時間は、お子さんの時間を削っていることを。

少し早く切り上げて書くしかないのだ。次の人が来てしまうから。

 

子どもがちゃんと認識し、上達もしているのに、

なぜ毎回お母さんにノートが必要なのか?私は理解できなかったが、

自分も親になればわかるのかなあ?と思ったりした。

 

で、ヤクルトさんの手紙が、なぜ申し訳ないか、というと、

私に割り当てられている時間内で書いているわけではないからだ。

何を削って書いてくれているか?それは配達員さんの時間。

早く配達を終えて、お子さんが待つ家に帰りたいだろうに・・・

 

好きな仕事を、丁寧にするって、

ほんとうに素晴らしいと思う。申し訳ないほどに。