亡くなった子は「別物」

2020/03/27

お子さんを亡くされたあと、新たに授かり、

子育てを再開している方々の暮らしについて、先日書いたが、

きょうが亡くなった子の誕生日という方からメールをいただいた。

 

昨年の誕生日にはしてあげられたお祝いを、

今年はできないくらいに、つらさが増しているという。

同じだ、と思った。つらさが増していくという点では、

新たに授かっても、また子育てをしていても。

 

亡くなった子への思いと、今いる子への感謝は、

「べつもの」という表現、説明としてわかりやすい。

 

また、私が感じることとして、

その感謝をもちながら大っぴらには嘆きづらい、

という縛りのようなものも、あるのではないだろうか。

 

一般的に表現される、

「うちよりもっと大変な思いをされている方のことを思うと」

という言葉がある。

そういう自覚は、災害などの場合だろう。

一斉に同じ災難に直面し、被害度が違ったら、

言動を慎むこととして。

 

まさに「べつもの」なんだ。

目の前の存在が大きいと同等に、失った存在もとてつもなく大きい。

 

どうか周りの人、嘆きをこらえるお母さんに、

「今いる子のことを考えて」的な安易な苦言は

呈さないでほしいな。

どっちのことも、毎日、考え抜いていますとも。