思い出を記憶に刻みこむため

2020/03/28

前回のつづき。

つらくてたまらず、つらさが増していくばかりのとき

坂下はどのように過ごしたのか?とメールで問われたので、

よく思い返して、またメールさせてください、とした。

 

というのも、

私が一番打ち込んでいたのは、当会を創ることだった。

同じ立場の人と出会い、わかちあうこと。

けれども、ここは、子ども連れで参加ができない。

小さなお子さんと暮らす方に、そのことを強調しても、

と思い、別のことを思い返すことにした。

 

私が、次に打ち込んだことは、

あゆみとの思い出を、できる限り書き上げることだった。

したこと、できたこと、面白かったこと、楽しかったこと。

 

その作業はつらすぎる、と言われる方もおられ

無理には勧めない。

けれども、日を追うごとに、記憶というのは薄れ、

多くの方が、のちに悔やまれる。

 

つらくても、私が書き挙げていた理由は、2つある。

1つは、最期の姿や顔だけが、一番残るんじゃないか

と思えたから。つまり、苦しい顔。弱った姿。

 

もう1つは、

あゆみを思うと、こんなに苦しいので

この苦しさから、身を守る「何か」が働くような気がしたから。

人間のもつ不思議な機能のようなもの。

思い出を、記憶の奥のほうに押し込んで、カギをかけるような。

 

それは困る!

私だけは、覚えておかないと。

かけがえのない日々を。

だから、書いた。

 

あゆみちゃん、と呼べば「はい」が言える。ちょっとかすれた声。

何かできると嬉しそう。褒めると、自分で頭をなでる。

ふすまがあると、頭だけ隠して、いないいないばー、をする。

人が見ていなくても、一人でして、一人でウケている。

 

書いたノートは、しまってあって、見ることはないのに、

空ですらすら言える。

何年たっても、ちゃんと出てくる。

姿もありありと目に浮かぶ。

 

明日、お母さんにメールしよう。

一番つらかった頃の、私の過ごし方。