だからどう生きていけばいいか?

2020/05/05

一昨日書いた「べき」の性格を

あゆみが亡くなったあと、痛感した話。

「べき」とセットであるのが「ねば」。

 

親は子の幸福の実現のために努力すべきである

どんなときも、親は子の生命を守らねばならない

 

この考えは、正しいと思うし、

性格とは無関係に、共通認識だろうと思う。

ところが、私たちは、努力したつもりだけれど

守り切ることができなかった。

だから子を亡くした親は、みんな苦しんでいる。

 

そして、つらいその道をゆく途上で、

何度も分岐するように思う。

分岐点にある看板は、「だから」。

 

だからどう生きるか?

この先は、さまざまで、私の場合、

だからあゆみと繋がりのある人生を継続したい

の方向に行った。

 

「小さないのち」で出会う方々は

死別後も、その子の親としての生き方を模索しているので、

ほぼ同じ道筋を行くように思う。

 

ところが、私は、

なおも「べき」「ねば」の分岐点を探しあて

何度も何度も入り込んでいた。

 

姿のないあゆみと、これからも

何とかして共に生きていくためには

あゆみの死に直結している、何か

価値のある生き方をしなければならない。

てな具合に。

 

そんな原理、別にないと気づくまで

長い歳月が必要だったが

亡くして日の浅い方と出会うなか、

同様の思考を持たれる方が多いのを感じる。

 

一人のお母さんから、驚くような話を聞いた。

そんなにがんばらなくていい

と、子どもの声で聞こえてきたと。

すごい。すべてお見通し。