あの頃の自分がもっとも気高く思える

2020/06/22

「つどい」で聴いた話は、外で話さない。

このことも、互いに守っているので、内容は書けないが、

ちょっとだけ触れさせてもらおう。

 

初めての経験として、全員マスク着用で行った。

表情が、少し見えにくい。

声も、少し聞き取りにくい。

でも!オンラインとはぜんぜんちがった。

 

目の前に姿がある。

言葉を超えて伝わる。

息づかいも、じかに聞こえる。

 

社会的な制限が解かれているなら

感染予防をしながら、やはり「つどい」は実施したい。

 

ずっと涙されていた人が、

帰りに、協力を申し出てくれた。

 

あなた、こんなつらい中で、そう思ってくださるの・・・

 

人とじかに触れ合うなかで、動く心がある。

「だったら、また来てほしい」

とお願いした。

こういう活動の中では「弱さのちから」がとても貴重。

 

たくさん歩いて、自分の道を敷いた人の経験や知恵、

そして余力は、もちろん頼りにしているが、

悲しみのさなかの人どうし、響き合うことがよくあり

来て、居てくれる、そのかけがえのなさを

私は思わず力説していた。

 

悲しみのさなかであることに「かけがえがない」

という表現は語弊があるようにも思う。

けれども、実際そうなのだ。

 

子どもを亡くした人から溢れ出る悲しみや、涙は、

私は、かけがえのない尊いもの、と思っている。

 

あの頃のように、

おえつしながら力強く泣くことは、私には、もうなく

空に向かって声を上げていた、あの頃の自分が、

もっとも気高かかったように思う。