「心から笑うことは、もうないと思う」
2020/07/2011日のブログの文末は
「あゆみが、私を不幸にするはずが、ありません。」
だった。このこと、言葉が不足していたのかな・・・?
メールをいただき、改めて考えた。
(亡くなった人のことを考え続けるのは、良くないと恩師に言われ)
「いえ、考えます」と決めた私を、あゆみが
不幸にすることなどないはずだ、という意味で書いていた。
でも、私を不幸にするはずのないあゆみは
私を遺して、逝ってしまったじゃないか・・・
そんな私を、私は、別に不幸じゃない、
と本当に思っているだろうか?
幸・不幸は、自分がどう思うか、なので、
11日に書いた「私は不幸にはなりません」は
あゆみのせいにしたくない思いから、書いたもの
でもあったのか?
あゆみは、何にも悪くない。
ただ病気になってしまった、ということ。
病気を打ち負かす子どももいるけれど
勝てなかったあゆみを、責めたくなったことは、一度もないし
私の不幸と、あゆみを、切り離しておきたいくらいの気持ちもあり、
実は、ここには深く長い格闘があるのだ。
子どもを亡くした人のほとんどが、日の浅いうちに言う
「心から笑うことは、もうないと思う」
とも繋がる気がする。
私は、しょーもないことでも笑ってるし
贅沢も言うし、遊びにも行くし、
でも、そういうのは、どれも、
深く長い格闘のなかでの一コマ。