難しいのは言葉ではなく本音のほう

2020/10/26

高校生で交通事故に遭い

両手両足が不自由になった女の子の動画を見るようになった。

 

最初に思ったことは

なぜこのようなことになったのか?だった。

つまり、私たちも抱いた「なんで」。

そのことは初期の動画で語られおり

試合の帰りに、乗せてもらった車の事故とわかる。

 

次に思ったのことは、

気持ちの転換期とは、どのように訪れるのだろう?だった。

「死にたい」ばかりだったというから。

 

その次に思ったことは、

どうやって一人暮らし、できるのだろう?で

実に器用で、賢く、工夫がなされている。

 

芯の強さは、アスリートだったんだもの。

最後の試合の映像がリンクされていて

すごい選手だったことがわかる。

 

映像を食い入るように見ながらも、

この数時間後に大事故に・・ と頭をよぎる。

そしたらコメント欄にも同様の書き込みがあり

「時間よ止まってくれ!」とあった。

 

まったく同じことを考えていたことに気付く。

そのコメントの、次の行の言葉は

「この人が障碍者になってしまう未来なんて、考えられない。」

 

この通りのことも、私は考えていた。

でも、この言葉、

実際は言ってはいけない言葉だろう。

今のすべてを否定することになるのでは?

でも、思ったのは事実・・・

 

普段、思っても言わないようにしていることが

とても多くあるように思う。

 

誹謗中傷は、ネットでも絶対に書かない。

誹謗とは、人をけなすこと。

中傷とは、悪口を言いふらすこと。

行為としてわかりやすく、隔たりもある。

 

ところが、一見、優しそうに見える言葉で

実は思いやりになっていない言葉はたくさん存在し

言っている人も、周辺の人も、気づいていない

ということがよくある。

 

先のコメントにも、「いいね」はたくさんついていて

私も自然に、そう思った

という事実が、自分に中にずーんと残る・・・

 

言葉が難しいのではなく

難しいのは、自分の内心。

自分でも知らず知らず持ち上がる本音だ。