生まれるまでも生まれてからも母の闘い

2020/10/27

いま「いのち」をテーマとする小中学生の作文の審査をしており

さまざまな捉え方に触れているところだが

母親の流産について書いている子どもが何人かいる。

 

その出来事が、自分の生前のことであったり

とても小さい頃のことであれば、

のちに母から聞いて知るわけだが、

子どもにとって、驚くべきことのようだ。

 

そして、「母はどんなに辛かったことだろう」

と思いを馳せ

思い出させてはいけなかったのではないだろうか?

と戸惑いを感じたりもするようだ。

 

確かに、母にとって辛い体験であったことは間違いないが、

話せないほど、というよりも

子どもに、いつ話せばいいか、見計らっていたようにも思え

なぜなら、そんなにも大事として驚かせるからだ。

 

子どもは、本当に優しい。

 

子どもを亡くした家であれば、なおさらで、

私の知る家庭の「おにいちゃん」は、

弟の死後、母の流産が続き、いたたまれなかったと言う。

 

「もう弟も、妹も、いいから」

と母に言ったこともあったそうで、

ようやく、無事に、弟が生まれたとき、

彼は、弟の誕生を喜ぶこと以上に、

「やっと終わった。これでもう母のこと心配しなくていい。」

という安堵感のほうが大きかったらしい。

 

本当に、子どもは、優しくて親思いだ。

 

でも、これで終わってないんだよね・・・

二度ともう、死なせないための

母にとっての闘いの始まりでもあるのだった。