「ふつう」じゃないのに「ふつう」とされた感

2020/12/05

また朝の連続テレビ小説「おちょやん」の話。

主人公の少女は、家の貧しさに加えて、

父親がおかしな女を連れて帰ってきたため

せっかく行き始めた小学校に、また行けなくなってしまう。

 

そのことを、担任の先生に

「うちは、普通の子のようにはなれない」と言った。

後日、先生は、やさしく声をかけてくれる。

私は、その言葉は、やさしい口調であっても

やさしい言葉ではないような気がした。

 

「普通の子なんていません。

いろんな子がいて、みんなそれぞれがんばっているのが普通。

だから、学校に来れないあなたも、普通です。」

 

えー、ぜんぜん普通じゃないやん、と思った。

父親が連れてきた後妻のために学校に行けなくなったり

後妻のぶん、口減らしに奉公に出されてしまうのだから

無理やり「普通」にはめ込んでるやん。

 

「みんなちがって、みんないい」

という金子みすゞの有名な言葉がある。

これは、特技や特徴はそれぞれで、

優劣はつけられないし、比べる必要もない

という意味を示している。

 

「おちょやん」の場合、特徴の話じゃない。

ひどい扱いの話なんだから。

それを「ふつう」に納めるのは

都合よく逃げてるようなものじゃない?

と私は思ったが、そのとき、

本人は、目を潤ませて「先生ありがとう」って・・・

 

これはドラマなのだけれど、

また考えこんだ。

どういうことだろう・・・

 

自分は、普通とみなされるほうがいい、という意味?

学校に行けないことも、奉公に出されることも

不幸なわけではない、と思えるのかな?

 

なんで、それが、いい言葉だったのか、

あるいは嫌な言葉だったのか、

よくわからないことが、実際にもよくあり

勝手に思い込まないようにしないと。

 

嬉しいと思うのも、「ありがとう」と思うのも

周りが決めることではなく、本人。

だから、わからないことは、教えてもらうしかない。