生き方の方程式を知らないから

2020/12/06

昨日のつづき。

痛いことがあったとき、痛いところを撫でて

「いたいの、いたいの、飛んでいけー」

ってしてもらうことも、私は知らずに育った。

 

母は、「痛くない」と言うんだ。

いや痛いしー

だって、ぶつかったのは私なんだから。

おそらく母が同じ目にあっても、

痛くないのだ。心も体も頑丈すぎて。

 

何でそれくらいで、痛いの?

何でそれくらいのことで、落ち込むの?

と、弱っちい私のことが理解できない・・・

 

母のように強い人、あるいは鈍感な人は

「つらい」を、あまり経験することなく生きていけるので

対処の仕方を知らなくていいのだが、

私のようなタイプの人間は、

小さいうちから、対処法を身に着けていたほうがいいのだ。

折り合いの付け方、受け流し方、保留の仕方など。

 

そういう術、全般を

生き方の方程式と呼んだ人がいるが

法則を知らないまま生きていると

例えば

「5を8回足してみて」と言われたとき

私だったら、

5を足して、足して、足して、足して、足して、足して、足して、

えーっと、、、途中で計算くるって

35!となったりする。

 

対処法を知る人は、

5×8=40

と、すぐにはじき出せるわけ。

 

この年になって、知ること、気づくこと、一杯あって

まあ母は私に

一生かけて冒険させてくれています。