優しさに包まれても持ち上がる負の感情

2021/01/22

お花のケーキを作ることを楽しみにしながら

思い出したことがあり

チューリップは使わないでおこう、と思った。

 

あゆみが亡くなったあと、訪ねてくれた人がいた。

その人は、あゆみが生まれた病院で出会い

1日早く出産された。

 

そういう出会いは感動的。

次は私!と希望と勇気をもらう。

喜びを共にし、でも互いに育児に追われ

ずっと会っていなかったのだけれど

共に1才を迎えたことから、連絡があった。

 

でも、もう、あゆみは亡くなっていた。

 

ものすごく驚かれ、お線香あげさせてください

と訪ねてくださったとき

素敵なお花をもって来てくださった。

まるでケーキのように、丸くお花が敷き詰められて

チューリップがアクセントになっていた。

 

出会って、ほんの1週間を過ごしただけなのに

これほど気持ちを寄せてくださったことに

とても感謝し

人の優しさを、また改めて実感した。

 

ところが、その人が帰って1週間ほどたった時

私はすっかり落ち込んでしまう。

 

チューリップが、ぐんぐん伸びてきたから。

切り花なのに、成長し続けるさまに圧倒された。

この花は、生きて、育って、どこまで伸びるのか。

あゆみの命は、あまりにもはかなかったのに・・・

 

でも、これは思い違いだった。

お花のせいではないことに、あとで気づく。

私が落ちこんだ本当の理由は

一緒に生まれたお子さんが、一緒に来て

家の中を歩き回ったこと。

 

あゆみは、まだ歩けなかった。

上手に歩く姿に、圧倒されたのだ。

でも、この子のお母さんは、ものすごくいい人。

1才の子を置いて来れないのは当然。

何もおかしなことは、ない。

 

だから、チューリップが伸び続けることに

負の感情を被せていったのだ、私は。

 

こんな優しさに包まれても

持ち上がってきてしまう扱いきれない感情。

本当に生きづらかった。

 

たぶん、あの頃からずいぶん変化したと思う。

けれども、誕生日に関しては、

昨日書いたように、止まったままの自覚があり

なので、来年の誕生日に作るお花のケーキに

チューリップは使わないことにしておこう。

そうして、今度こそ、

あゆみの誕生日を満喫しよう。