自分のことを言っているだけではない

2021/03/18

子どもを亡くした親が、言われて傷つく言葉として

よく話題に挙がるのが

「私だったら生きていけない。」

 

前にも日記に書いたが、

私は、この言葉に、「この人すごくわかってくれている」

と感じ、全肯定くらいに受け取っていた少数派。

どれくらい少数か、というと、9:1くらい。

 

多数派は、

生きている自分は余程冷たいということ?

生きていたらおかしいということ?

と受け取っている。

 

このことを、

さらに分かりやすく教えてくれる人はいないか?

と思っていたら、きょう京都新聞の記事に出ていた。

 

子どもを亡くした親のことではなく

ALS(筋萎縮性側索硬化症)の患者さんのことで。

 

ALSは筋肉が衰えていく難病で、人工呼吸器を着けて暮らすようになる。

この病気に対し、ネット上では

「自分だったら生きたいと思わない」

といった匿名の投書が目立ったらしい。

 

ここまで読んで、

私も、考えは同じかも、と思った。

ただ、私が考えるのは、「やっと行ける」に近い。

けれども、あゆみが「あっち」にいなかったなら

また考えは違うだろうし、どうなんだろう・・・

立岩真也氏(立命館大学教授)の言葉が、分かりやすかった。

 

「こうした言葉を発する人は、自分のことを言っているだけで

他人を非難しているわけではない、と思っているかもしれないが

それは違う。困難な状況で生きている人に対して、

私はあなたの状態が死ぬほど嫌ですと言うのは、

相当な強い否定だ」

 

あーー そうなのか。

「私だったら生きていけない」は

「私はあなたの状態が死ぬほどイヤです」の言い換えか

と思うと、確かにきつい。

 

この記事を読んで、もう1つ思った。

「つどい」では、他者の発言に反論しないでほしい

とお願いしており、この約束が破られることはない。

 

「死にたい」と言う人がいて

この言葉が、「死ぬほどつらい」を意味していることが

わかっているから、反論しない、というだけでなく

「そんなこと言うものじゃない」と思ったとしても

言葉にして向けないようにしてくれている。

 

匿名の世界との違いでもあり

つらさを経験した人の、懐の深さでもある。