「一般の人は」と言われるとニョキ
2021/04/13私の中にいるコワイ「魔物」のつづきに戻る。
中を見回すと、何匹もいる気がするが
よく顔を覗かせる1匹は
思い上がったもの言いをする専門家と会ったとき。
どこから始まった話か、考えた。
あゆみが亡くなって、私は精神科に行かされていた。
最初、心療内科に行かされたのだけれど ←周りの人々に
その大学病院は、子どもが亡くなった母親だったら
精神科だろう、と判断したようで
専門家に一目置く私としては、指示に従い、通った。
何がいいのか、さっぱりわからなかった。
ろくに話も聞かず、薬を飲まされて、
眠くて眠くて、仕事にならず、体もだるく
行くのやめてしまった。
そしたら周りの人々、別の心療内科を見つけてきて
また通い始めた。
話はよく聴いてくれた。1回45分間だったか。
でも、時間が来たらピタっと終わり。
また行って、また話を聴いてくれる「だけ」。
何がいいのか、あんまりわからなかった。
で、私は考えた。
自分が「いい」と思うことをしよう。
私が「したい」のは、あゆみの話が通じる人と話すこと。
当時、自助グループという名称も知らなかったが
新聞社に相談したら、記事を書いてくれて
「小さないのち」ができた。
すごく嬉しかった。
出会う人は、みんな、わが子の話が大好き。
まるで生きている子の親のようだ。
でも亡くなっていて、泣きながらでも話す。
通じ合うて、いい!
私は、話すことより、聴くことのほうが好きになった。
この「好き」は、20年以上たっても変わらない。
精神科も、心療内科も、精神科医も、心理士も、
ぜんぜん否定はしない。
合う人はいて、回復していく人もいるようで
でも、私にはあんまり合わなかったので
私は自分に向いている方法を選んで、前進した。
そしたら、ある程度たった頃
専門家に対して「一般の人」と言われることに気付く。
はあ?と思った。
一般の反対語は、特別だ。
人を一般と呼ぶからには、自分を特別と思ってるんかい?
はあ?そしたら言わせてもらうけど ←実際は言わないよ
おたくら、私をどれだけ回復させた?
とか思っちゃうわけ。
あんまり上から目線で言われたら
「魔物」がうごめくわけ。
でも、噛みついたりはしない。
そんなこと、黙っていても、歴然として、
自助グループには当事者が集い続けている。
当事者の姿や声に、息吹を与えられ続けている。
ちなみに
ちゃんとした解説書では、
自助グループというものの意義や価値について
社会に必要不可欠なもの
として述べられているからね。