普通の親と話が合わなくなる時期

2021/07/19

子どもを亡くす、という

最大級のつらさを経験した私たちは

この経験を経て

人の痛みに寄り添えるようになっただろうか?

と考えたとき、

ほとんどの当事者に共通する感覚が

「そうは思えない」なのだ。

 

自分たちでも、逆のイメージがあったが

あいにく最大級を知ったら

一般的な痛みは、どうも響かない・・・

「べつもの」に思えてしまう。

 

このことに、ちょっと自己嫌悪になりそうだが

だからこそ、

生活上のしんどさも伴う。

 

人々の悩みや不満に対し

(子どもがいるだけで)いいじゃない、とか

そんなこと取るに足らないでしょ、と

思ってしまう自分を隠して

調子を合わせなければならないような場が

毎日のようにある。

 

昨日、同じ立場の人たちと話していて

ふと、今ごろ気付いた。

あの頃、普通の親たちの輪に入れなくなったのは

みんなが持っているものを、私だけ失ったから

ではなかったのかもしれない。

 

みんなの話題に、合わせることに

意味を感じなくなったから

かもしれない。

 

輪に入れなかったのではなく

無理に輪に入らないようになった、ということ。

疎外感というより、無意味感から。

だったら

孤立というより、あれは独立?